うぐいす餅の由来と食べられる時期をご紹介

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うぐいす餅の由来と食べられる時期をご紹介

「春を告げる鳥」として古くから日本人に愛されている「鶯 (うぐいす)」を彷彿とさせる愛らしい「うぐいす餅」は、「寒中梅」など早春を代表する和菓子となっています。


ただ、初めてうぐいす餅を見たとき、「鶯のような美しい褐緑色をしていない」「鳥のかたちをしていると思っていた」と予想していたものと大きく異なり、驚かれた方も多いのではありませんか。


そこで、今回は、なぜ鶯に似ても似つかないかたちをしているのに「うぐいす餅」なのかについてご紹介したいと思います。



うぐいす餅の由来



うぐいす餅 / Yuya Tamai


鮮やかで美しい褐緑色の羽を持つ「鶯」にちなんで命名された「うぐいす餅」は、求肥で餡子を包み、両端を鳥のかたちになるように少しすぼめ、その上から青大豆で作られた薄い緑色のきなこをまんべんなくまぶした和菓子です。


初めてうぐいす餅を作ったと言われているのが、奈良県にある老舗和菓子店「本家菊屋」です。では、うぐいす餅誕生に関するお話をここでご紹介します。

1585年、本家菊屋の初代店主・菊屋治兵衛は、当時郡山城の城主であった豊臣秀吉公の弟君・豊臣秀長公に連れられ、大和の国へとやってきました。秀長公は、「兄をもてなす茶会に何か珍菓を作れ」と治兵衛に命じたのです。

御用菓子司であった治兵衛は、粒あんをお餅で包み、上からきなこをまぶした小さな餅菓子を作り、献上しました。

そして、茶会当日に治兵衛が作ったこの珍しい和菓子を食べた秀吉公は、たいそう気に入り「以来、この餅を鶯餅と名付けよ」と御銘を賜ったのです。

当時は砂糖がたいへん貴重なものだったため、うぐいす餅に関する由来や歴史は全国各地に点在していますが、現在日本各地で作られているうぐいす餅の原型は、菊屋治兵衛が作ったこのうぐいす餅だと言われています。

その後、時代は流れ、本家菊屋がお城の大門を出て町人街の1軒目にある和菓子屋さんということで、今では「うぐいす餅」ではなく、お城の入り口で売っているお餅「城之口餅」という通称で呼ばれています。



元祖うぐいす餅のお店「本家菊屋」は、現在でもお城の入り口近くにお店があり、菊屋治兵衛が考案した「うぐいす餅」を作り続けています。


ちなみに、本家菊屋のうぐいす餅 (城之口餅)は、餅米でお餅を作り、餡子を包んで一般的なきなこを全体にまぶして作られています。



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うぐいす餅はいつ頃から販売され始めるの?



うぐいす餅 / Yuya Tamai


早春の和菓子「うぐいす餅」は、地域によって異なりますが、毎年12月から翌年の3月頃まで販売されています。


ですが、元祖うぐいす餅の「本家菊屋」では、通年を通して「御城之口餅 (粒餡きな粉餅)」という名で販売されており、お取り寄せすることが可能ですので、この機会に豊臣秀吉公が絶賛した「うぐいす餅」を食べてみてはいかがでしょうか。



まとめ


今回はうぐいす餅の由来と食べる時期についてご紹介させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。


うぐいす餅は餅菓子ですので、購入した当日に食べないと翌日には硬くなって美味しくなくなってしまいますので、自分でうぐいす餅を作ろうとお考えの方は作り過ぎにご注意ください。


また、最近では求肥やお餅によもぎを混ぜたものや鮮やかな鶯色のきなこをまぶしたものなども販売されておりますので、この機会に様々なお店のうぐいす餅を食べ比べてみてはいかがでしょうか。


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