家族をお持ちの方は奥様や子どもたちと恋人がいらっしゃる方はレストランで食事、独身貴族の方は気を許せる友人たちと自宅でパーティを開くなど様々な過ごし方があるかと思います。
現在の七夕の日の過ごし方は、笹竹に願いごとを綴った五色の短冊を飾り、折り紙で作った星や屑籠、投網などを飾って、豪華なご馳走を楽しむのが一般的ですが、今も昔も変わらず七夕の日に食べられているのが「そうめん」です。
七夕は上巳の節句や端午の節句と同じく五節句の1つなので、ちらし寿司やお吸い物などもっと豪華な食事でも良いのではと思われる方も大勢いらっしゃるかと思います。
そこで、今回は七夕の日になぜ素麺を食べる由来についてご説明したいと思います。
七夕の日に素麺を食べる由来とは!
そうめん / yoppy
七夕とは、中国発祥の「乞巧奠 (きこうでん)」という織女星と牽牛星に女の子の手芸の腕が上達しますようにという祈りを捧げる祭事が起源となっており、笹竹に五色の糸を飾り付け、索餅 (さくべい)という小麦粉とお米の粉を練って油でカラッと揚げた唐菓子などをお供えするのが本来のかたちです。
日本でも乞巧奠が伝わった当初は、中国と同じ祭事を行っていたのですが、平安時代になり、遣唐使が廃止されると、日本に古くから伝わる祖霊に豊作を祈願するお祭りと乞巧奠などが習合し、時代の流れと共に五色の糸から短冊へと変わり、現在の七夕が誕生しました。
さて、なぜ日本では、七夕の日に索餅ではなく、素麺を食べるようになったのか気になりますよね。
古来中国では「7月7日に亡くなった帝の子が、霊鬼神となって、マラリア性の熱性病が中国全土に蔓延し、帝の子が生前大好物だった「索餅」をお供えしたところ、蔓延していた熱性病が嘘のように消え去り、再び平穏な日常を取り戻すことができた。」という伝説があり、「7月7日に索餅を食べると、その年1年間は無病息災で過ごすことができる」という云い伝えから七夕の日には索餅を食べる風習が今でも残っています。
日本にも、古くから麦の収穫時期になると麦餅を作る風習があったため、奈良時代に遣唐使たちによって伝わった乞巧奠と索餅は、抵抗なく、すぐに宮中行事に取り入れられたのですが、貴族から武士、そして庶民へと徐々に七夕行事が広まるにつれ、索餅はいつしか素麺へと姿を変え、現在では七夕の定番行事食として親しまれています。
また、七夕の日に素麺を食べるようになった由来には諸説あり、七夕の夜に現れる天の川に見立てた説や笹竹に女の子の裁縫の上達を祈るために飾られる糸に見立てた説、小麦が持つ解毒作用から健康を願う説、1年に1度しか会うことができない織女星と牽牛星にあやかった恋愛成就説などがあり、ロマンチックなものから健康祈願まで様々です。
ですが、そうめんが七夕の日に食べられるようになった由来で最も有力なものは、索餅が時代の流れと共に舌触りの良い素麺へと変化した説なのだそうですよ。
色付きの素麺に意味はあるの?
Sōmen (素麺) with ice / mdid
七夕の日に食べられるそうめんには、ピンクや黄、緑などカラフルな麺が含まれており、気になった方もいらっしゃるかと思います。なんと、この色付きの素麺にはきちんとした意味があったのです。
誰しも1度は耳にしたことのある童謡「たなばたさま」の1節に「五色の短冊」という言葉がありますが、この五色には魔除けの効果があり、瘧除けのおまじないとして中国で食べられている索餅と似通った意味が込められています。
ですので、七夕の日は、色付きのそうめんを茹でて、食卓に並べるのがオススメです。
まとめ
今回は七夕料理に素麺を食べる理由についてご説明させて頂きましたが、いかがでしたでしょうか。夏の定番メニューである「そうめん」は、七夕の日以外でもお世話になることが多くなるかと思います。
そのため、ご馳走としてのインパクトが弱く、特別感が無いため、素麺を七夕の日のご馳走にする際は、そうめんを天の川に見立てて、夏野菜を星型にくり抜き、いつもとは違った雰囲気を出すと特別感がでますので、是非、七夕の日に素麺を食べる際はいろいろと工夫を凝らしてみてはいかがでしょうか。